私達は九州コースを修了された方をサポートするために活動しています。

同窓会たより-2020年度

同窓会たより 2020年度

藤原桂子先生の訃報に接して

同窓会会長 力丸敏光(Joyひこばえ)

 6月中旬にセンター長の藤原江理子先生からご連絡があり、コース設立時からスタッフでいらした藤原桂子先生の訃報を伝えられたのですが、あまりに悲しみが大きく言葉がありませんでした。5月21日にお亡くなりになられたとのことですが、新型コロナウイルスの感染予防のご配慮をされ、ご家族のみで、翌日の22日に古賀カトリック教会にて葬儀をされたそうです。お亡くなりになられて1か月ほどたってからのお知らせでしたが、藤原桂子先生の訃報を会員の皆様にその時点でお知らせできなかったことを反省し、心よりお詫び致します。九州幼児教育センターのホームページに載せられるということでしたので、今回は同窓会のホームページでのお知らせは見送らせていただきました。

 藤原桂子先生には、九州コースの言語のスタッフとして、熱心にコース生の指導にあたられ、私達に優しく声をかけていただきました。ご指導いただきました言語の内容は、これからも同窓生一人ひとりの中でしっかりと受け継がれていくことと信じています。今は、天の門にて藤原元一先生や、愛犬と再会され、私達が世界平和と子どもたちのために頑張っていく姿を見守っていただいているのではなかと思います。私達同窓会の一人ひとりがモンテッソーリアンとして、努力を続け、九州幼児教育センターの発展のためにも微力ながらお役に立つようにできればと思っています。

 話は変わりますが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、各園各自大変なご努力をされていると思います。今は、いろいろな事を実施することが難しいのですが、人の命を守ることは平和の根本ですので、ともに頑張っていければと思います。

 今年は同窓会の総会も実施出来ない状況ですが、みんなが笑顔でお会いできる日が来ることを信じて「子どもたちとともに」過ごしてまいりましょう。
  

同窓会からのお願い                     

  1. 九州幼児教育センターのホームページに最新の情報が載せてありますので、こまめにチェックしていただきますようお願いします。九州幼児教育センターで検索するとすぐに検索できます。
  2. 今年度の同窓会総会は開催できませんので、決算報告と予算は、理事会で承認させていただき、報告とさせていただきます。同窓会活動は皆様の会費で運営していますので、積極的な活動が行えますよう、同封の振込用紙での納入のご協力をお願い申し上げます。

“withコロナ”に思うこと

32期生 阿曇洋子(風浪宮保育園)

 1月17日に新型コロナウイルスを日本で初確認したと発表があってから1ヶ月足らず、2月20日に福岡で2名の感染者が確認され、それは同時に九州初の感染者となりました。現在も感染者の数は増え続け、収束の気配は見られません。

 保育の現場では国・県・市より3密(むんむん・ぎゅうぎゅう・がやがや)を回避する努力を求められ、毎日の検温、消毒作業に追われています。「正しく恐れる」のが基本姿勢といわれていますが、色々な情報が氾濫し、何が正しく何が誤りか判断に迷う日々です。

 7月下旬、ある新聞記事が目に止まりました。全国の学校の感染予防策実態調査が掲載され、子どもの感染を予防する取り組みの工夫が明らかになりました。内容は●トイレの混雑を緩和させるために休憩時間をずらす(なるほど)●ふた付きのごみ箱を導入する(ふむふむ)●水道の蛇口に触れないように水を出したままにする(えっ!?)。又、フェイスシールドの配備や教職員のPCR検査を望む声もありました。

 当保育園でも、検温、消毒は言うに及ばず、保育時間の短縮、外部講師による活動の一時休止、登園自粛のお願い等を実施しましたが、最も影響を受けたのは「行事の縮減」です。3月の卒園式、4月1日の入園式は参加者の人数を制限し、辛うじて開催することができましたが、その後、7月迄の3ヶ月間はまったく園の行事を行うことができませんでした。

 今回、新型コロナウイルスの感染拡大によって、今まで当たり前と思っていた日常からwithコロナとして「新しい日常」をどう考えるのか、その答えを6月19日に九州幼児教育センターでおこなわれた「指導者説明会」での藤原江理子先生のお話の中に見つけた思いがしました。

 内容は今までやってきた生活の中にコロナ感染予防対策の工夫を取り組む〈New Life〉、例えば社会的距離を保ったままの接触のないコミュニケーションがこれからの人間関係において当たり前になっていく可能性や、〈New Normal〉これからも起こりうる感染症対策との共存の中で新しい生活様式がもたらす新しい価値観について、例えば東京はとバス・バーチャルツアーでの実体験ではない疑似体験ツアーでの集客等、非常に興味深いお話でした。既に日常の生活の中にはリモートワークやオンライン会議が根づいています。

 新型コロナウイルスがもたらしたものは感染症対策だけではなく、対面であること、集団であることの現実を飛び越え、リモートという干渉されない個人空間とバーチャルという非現実の体験をより身近にし、選択肢を増やし世界を広げました。

 今後、社会的な生き物である私達にとって問われる「集団の価値とは何か」「教育は何を使命としているか」「具体的経験の欠如による成長への影響とは何か」についての答えを、人間の成長は普遍的であり、教育にかかわる大人が時代の変化をきちんと捉えて変わっていくことが大事であることをマリア・モンテッソーリの講義録を引用し、江理子先生に教えていただきました。誰もこの先を予測することはできません。だからこそ、どの様な状況になっても対応できるように変わっていく覚悟が必要なのだとあらためて“withコロナ”に思うこの頃です。

モンテッソーリ教育研修会2回目テーマ「子どもは一人ひとり違う、その違いへアプローチ」

3期生 森山 多美子(水巻聖母幼稚園 マリア子どもの家)

~子どもの中に真実がある~講師 佐々木 信一郎氏に参加して (2020年2月9日(日)水巻聖母幼稚園於)

2回目のモンテッソーリ教育研修会の講師は、同じく、佐々木 信一郎先生。先生は、福島でモンテッソーリ教育の環境で保育・療育に取り組んでおられるこじか「子どもの家」発達支援センター園長をされています。

初めに、「私たちの中の二つの心」-共生思想と優生思想(優生思想:身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に残そうという思想。)のせめぎ合い-について。

アメリカのスーパーマーケットでの社会実験(障害者に出会った時に、実際に私達はどう対処するか)について考える所から始まりました。又、過去の世界や日本の優生思想・政策の歴史。近くは四年前の相模原「津久井やまゆり園」の殺傷事件など。

私達は、多くの場合、優生思想と共生・共存の思想が、心の中でいつも葛藤している。そして、多くの場合、心の中で、優生思想が勝ってしまう。その理由は、資本主義体制、利潤追求のシステムである。労働者に問われるのは能力である。このシステムの中では、能力のないもの、つまり障害者は価値のないものと見なされる。私達は、この価値が正しいという教育を受けて育ち、生活をしている。だから、心の中で葛藤が起こる。又、関わる時、必ずしも理解できるとは限らない。分からないものに恐怖心を抱き、理解できないもの、異質な者を排除する心理が起こる。しかし、私達は理性のある大人である。又、価値観の葛藤、排除する心理があることを知り、そうならないように日頃から自分を見つめていくこと、障害というものが何かを考えていくことが必要である。

「モンテッソーリ教育は、インクルーシブ教育」-モンテッソーリの出発は障害児教育—
 モンテッソーリ教育の特徴は、
①一人ひとりの発達課題と個々の異なる興味関心を尊重する。②個別学習 ③子どもが自分のペースで学習する。④子ども自らの内発的動機づけ、である。又、モンテッソーリ教育は、一人ひとりの異なる子どもが、学びのサイクル(子どもの興味・関心→主体的な自己選択→繰り返しの活動による集中現象→満足感・達成感などの生の躍動感→結果的に様々な能力が身につく→主体性・意欲・自己選択力・自信・自己肯定感・挑戦力が育まれる。)を回って、自己教育し、正常化する。全人格を育てていくことができるように、環境を整え、自由と規律をコントロールする教育である。この教育システムは、能力、発達の程度、ペース、そして、障害の有無などの個人差をインクルーシブ(包容)することができる。つまり、モンテッソーリ教育は、一般の教育よりもインクルーシブ教育環境が整っている。

「一人ひとり異なる子どもの見方・捉え方1」-子どもと向き合う時の原則-
(1)認知的なものへの興味・関心が非認知(意欲、自己コントロール力、集中力など)を育て結果として認知的な力(できることや知識が増える)につながり、そうするとまた非認知能力(自信、自己効力感など)が育っていく。
(2)子どもと向き合い、教育・保育をするときの前提として、障害から出発しないようにすることが大切。
(3)普通のモンテッソーリ教育と専門性の関係は、まず、普通のモンテッソーリ教育をする。それでも、教育・保育がうまくいかない場合、専門性を考える。
(4)インクルーシブを考える場合には、モンテッソーリ教育のユニバーサルデザインを考える必要がある。

※「ユニバーサルデザイン」とは、文化・言語・国籍や年齢・性別などの違い、障害の有無や能力差などを問わずに利用できることを目指した建築・製品・情報などの設計のこと。

1、モンテッソーリ環境についてのユニバーサルデザイン
①物的環境についてのユニバーサルデザイン
  ・モンテッソーリカレンダーのユニバーサルデザイン
②人的環境としてのユニバーサルデザイン
・わかりやすい先生であることが必要
・喜怒哀楽がはっきりした先生が必要

2、自由と規律のユニバーサルデザイン
①自由についてのユニバーサルデザイン
  子どもの選択の自由、反復活動の自由、質問の自由は、保証することが必要
 ・選択の自由の範囲を広げること(クラスにあるものだけではなく、その子の興味関心のある活動を創造すること)が必要
 ・反復活動の自由をできる限り保障することが必要
②規律についてのユニバーサルデザイン
  受動的規律 他人の邪魔、傷つける、怒らせるなどの行動はすべて止める。また社会的マナー、ルールなどは守るようにさせる。
  能動的規律 自由の中で、自分で考え、言動を選択する。それに対しての自ら責任を持つ。そして、受動的規律から能動的規律を育てていくことが大切である。
 ・ルール、マナーなどは、先生の中で明確になっていることが必要。そうでないと、子どもは混乱する。
 ・一貫性のある対応をすることが大切。
 ・子どもに注意をするとき、何をどうすれば良いのか具体的な方法を伝えることが大切。

(5)専門性
  教師が、子どもとの関係でどう支援すれば良いのか困難を感じている時に、子どもも「つまずき」などにより、どうすれば良いか分からず困難を感じている。これが、困り感。つまり、子どもは困っている。この困り感に耳を傾けるのが専門性。
例:
① 障害特性のために、その日、クラスで安心・安定して過ごすことができないことがある。
 ②一人ひとりの子どもが興味・関心のあるものを見つけられない。
 ③興味・関心を持ち、自分で選択をし、取り組みたいと思っても、障害特性によって、うまくいかない。
 ④その興味・関心のある活動から、活動を広げられない、発展・応用ができない場合がある。その他・・・。
     困り感を読み解く(OHPDCの考え方)・・・どうしてそうなるのか?を考える。
Observe    Hypothesis  Plan      Do       Check
観察     原因の分析    支援方法 支 援      支援
現状把握    仮説の立案    の立案             の評価

・具体的な子どもの観察・・・教師の知性(比較、分類、集合、分析、対応)
により、問題を読み解く。
・生育歴、両親等の情報
・各種検査等のデータ

O-ⅰよく観察し、躓き、困り感はどこか現状把握する。(帰納法)複数の具体的事実を比較、分類、集合、分析、対応することによって、同一の傾向を抽出する。本質をつきとめる。

O-ⅱその現状把握を、障害特性、発達理論、心理学的理論、モンテッソーリ理論、教材・教具論などから、演繹し、解釈する。(演繹法)
H その両方の結論を総合的に考え、仮説を推論する。
P その仮説に基づき、支援方法を立案する。
D 実際の支援を行う。
C 最後に、支援、支援後のチェックをし、支援がうまくいかない場合には、再度、観察からのステップを子どもと共に歩む。
  この帰納と演繹の間は、行ったり来たりして考えていくことになる。そして、支援方法を導き出す。支援し、支援のcheckを行う。
  この流れが、クラスでの安心感、そして、興味・関心のあるものへの取り組みを妨げている困難性、困り感をくみ取ること。子どもが、学びのサイクルをうまく回れるようになると、様々な変化が起こる。認知・非認知能力が育ってくる。
・毎日、園に来ることが楽しくなる。
・色々なことに集中するようになる。
・自己コントロール力(我慢する力)がついてくる。色々なものを学習し、獲得し、出来るようになる。つまり、認知能力が育ってくる。
・正常化していく。

感想

1回目に引き続き2回目も、モンテッソーリ教育の、子どもの興味・関心から始まる「学びのサイクル」のすごさを学びました。そして、モンテッソーリ教育は、インクルーシブ教育である。インクルーシブ教育を考える場合、ユニバーサルデザインを考える必要がある。それでも、子どもが困難を感じた時、専門性が必要になってくる。クラスの中で、一人の子どもにとことん向き合い、話し合い、考え、専門性を身につけていくことが大切で、これからの課題だと思いました。

《第10回子どもとメデイア全国フォーラム「スマホ社会と子どもの未来」~技術革新は人類を幸せにするのか?~》に参加して       

(2期)   山之口奈津子

このフオーラムは2年に1回福岡で開催されていましたが今年初めて東京の歯科医師会で開かれ定員500名に申し込みが殺到しキャンセル待ちも断られるほどの申し込みがあったそうです。近年既存のあらゆるメデイアに加えて新たにスマホが登場し、日本の子どもがスマホ中毒になり子どもの育ちがおかしいと実感する親の反映があったものと思われます。どう見ても1歳過ぎくらいの乳幼児がバギーカーに座りスマホを片手に人差し指でする姿を私自身も見るようになり、実体験がまだ少ない子ども達の感覚はどうなっていくのかと心配になっていました。スマホ・タブレットは乳幼児でもどんな場所でも簡単にアクセスできメデイア接触の早期化、長時間化が進んでいます。その結果言葉やコミュニケーション能力の発達の遅れやゆがみにつながったり,子どもの身体機能の歪みにつながったりしています。メデイア機器との早期接触、長時間接触は脳機能(学力)の異変や視覚機能の異常につながることも指摘されています。
(WHO)世界保健機関は2019年5月「ゲーム障害を精神疾患として正式に認定しました。スマホやゲーム機によってもたらされるゲーム中毒は、依存症という病気の問題にとどまらず、子どもにとってはその育ち全体を歪ませ「人間」として成長発達する権利そのものが侵されるのではないかと言われています。

 メデイア接触による健康被害は多岐にわたるため脳外科の川島隆太(東北大学教授)が仙台市立小・中・高の7万人超えの学力調査結果と生活習慣アンケート調査結果を8年間にわたり追跡調査した結果、スマホ使用時間が平日で1時間を超える児童・生徒では学力が使用時間と相関して低下する。追跡調査で学力の低下の原因はスマホ使用にあることを明らかにした。インターネット利用時間が多い子ども5歳~18歳の3年後の大脳皮質の体積が余り増加しない。(脳の発達が阻害されている)インターネット利用時間と脳の関係として(成人男性)20,7歳右利き666名の脳形態をMRIで計測するとインターネット依存が強い学生は①自尊心が低く、不安、抑うつ傾向が高い②共感性や情動制御能力が低い。大人であってもスマホが手放せなくなると脳に影響が出る。2018年小学3~4年生でスマホを持っている子どもは6~7割。1時間以上使っている子どもは平均点を超えない。スマホを使うことにより学習の記憶が定着しないで記憶が消えるのではないかといわれているという科学的データの裏付けがある。スマホ・タブレットは使えば使うほど脳にダメージを受ける。子どもの学力が下がり生きていきたい方向に生ききれないで人生を損している。

 子ども達の目を守る…スマホではなく外遊びをと提唱する小児眼科学,平和眼科富田香院長は、生まれたての赤ちゃんの眼は明るさ暗さがわかる程度、2歳で視力が0.5前後に発達し5歳で8割の子どもが 1,0に達するので乳幼児期が子どもの眼の発達に重要な時期になる。この時期見たいものに視点を合わせて見続ける(固視)、遠近にピントを合わせる(調節)、見たい方向に目を動かす(眼球運動)は、いろいろなものを眼で探して追いかけたり、跳んだり、投げたりするような身体を動かす大きな運動(粗大運動)の中で発達していく。この粗大運動から,目と手の協応運動が発達し、細かい手先の作業ができるようになっていく。スマホを見続けることによりピント合わせや眼球運動の発達が悪くなってしまう可能性がある。スマホを長時間見ていて、内斜視になる子どもの報告例が急増しているとの事、ブルーライトによる睡眠不足の影響も心配される。子どもには近い距離を見続けるスマホではなく、遠・近を見たりする外遊びをしっかり用意することが求められる。2歳未満は見せない。2から4歳までは1時間未満コロナ災害でオンラインシステムが益々重宝され、なくてはならないものになっている。ある教育委員会の取り組みで何のために使うのか本当に大切なものなのかスマートフォンとどう付き合うのかもう一度考えてみる~あなたの決断が未来を変えると提起したところ実行した経験から1、3日間スマホなしの生活をした、子どもが今のパパが好きと言った。2、3.11で2か月通信できなかった家族が「友達と仲良くなれた」と話す。電気が復旧すると元に戻った。3、0歳の子どもにすべて見せないようにした。+壊れた脳は読書週間と1時間未満のメデイア接触、6時間以上の睡眠で平均点を超えることができる。

桂子先生を偲んで

シスター 渡辺満智子

 藤原桂子先生があまりに早く逝ってしまわれて、今も信じられず「桂子先生!」とお呼びすると「はい」というお返事と共にお優しいお顔が浮かびます。長い間、言語の担当でご一緒にモンテッソーリ九州コースで歩んで来ました。思い出を少したどってみたいと思います。

 藤原元一先生がモンテッソーリトレーニングコースを九州に設立したいと言われ、当時は北九州黒崎のヨゼフ幼稚園と修道院で開かれることになりました。それぞれの担当が決まり、桂子先生と私は言語を担当することになり、私は丁度その前に上智のモンテッソーリコースを卒業していましたので提示を担当し、桂子先生は理論を構成されるように二人で毎日毎夜ヨゼフ幼稚園のホールに集まって皆で夫々の分野をまとめることになりました。

 言語はヨーロッパの言語と日本の言語とでは、発音、構成、構造すべてが異なりますので、言語の分野はモンテッソーリの言語をそのままでは日本語にあてはめることが出来ず、メタルインセットのように使えるものは良いのですが、適当でない教具もあり、日本語に適するよう考えて提示を作りました。桂子先生と二人で相談しながら毎日毎夜頑張りました。例えば「文字の箱Ⅲ」は九州コースが作ったものです。拗音なので2字で一拍です。元一先生が「もうそろそろ帰ろうか」と言われるのは大体夜の12時頃でした。教具を作ることも言語は販売されていませんので、殆んど全部手づくりです。絵カードなどは他の係の方々も手伝って作ってくださいましたしヨゼフ幼稚園の先生方も遅くまで手伝ってくださいました。皆の努力の結晶で教具がそろいコースは始まりました。学生さんも多く私は提示を担当しましたが、非常な緊張感でドキドキしながらの提示でした。第1段階が終わった時、間違わずに出来たかどうかとても不安でしたが、その時提示を見てくださっている桂子先生の方をちらっと見ますと、先生は「にっこり」お優しいほほえみを返してくださいました。「ああ、これで良かったのだ」と安心しました。桂子先生の優しいほほえみがいつも私の自信となっていきました。また、桂子先生は言語の理論の講義をしてくださり、「日本語とは」「幼児に教えるとき」等、学生さんに日本語の大切さをしっかりと教えてくださいました。コースの1期生から9期生までヨゼフ幼稚園と修道院でコースが開かれていたのですが、修道院の都合でコースが出来なくなりました。それで桂子先生は何処かにコースができるようなところはないのと考えながら毎日犬の散歩をされていました。すると夕暮の中「空家」という文字を見つけられました。毎日その道を通りながら考えもされなかったところで近寄ってみられると「コースとしてよいところではないか」と思われたそうです。そして元一先生や乾神父様に相談されとんとん拍子で話が進み、宗像にコースが出来、10期生の学生さんから宗像に移転しました。その時多くの方々からいろいろなものをご寄附頂き、おかねも道具もそろいました。そして今日があります。桂子先生はいつもおだやかで講義も解りやすく話してくださり学生さんたちは幸せだったと思います。今は桂子先生の心からのご冥福を祈り、一生懸命教えてくださったことを子どもたちにも伝え、これからも励んでいくことが桂子先生への感謝だと思います。「桂子先生 本当にありがとうございました。心から感謝申し上げつつ、安らかにお休みくださいませ。そしていつまでも私共を見守ってくださいませ」

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